“きょうだい”としてのわたし1

気づいたら2ヶ月も更新無しの状態・・・。この2ヶ月忙しかった・・・。忙しかったせいなのか、精神的にもうだめ、という状態になって、病院にかかろうと思った矢先、本当に病気になって寝込んだ。それが10月に入ってすぐのことで、それからもうつ状態が続いたけれど、やっとこうして文章を書けるほど回復してきました。精神的にも大分良い状態になってきて、自分でも一安心・・・。

もう限界っ!と思って以来、大学のカウンセラーの先生にお世話になっている。私の悩みは、自分でもはっきりとはわからないのだけれども、とにかく自分自身の性格に関するものだった。いつも覇気が無くて、不真面目で、自分に甘い自分が嫌いだった。カウンセリングでは必ず家族のことを聞かれるので、うつ病の母のこと、発達障害の弟のことを言うと、先生は、私のこの精神的に疲労した状態は、一時的なものではなく、もうずっと長く続いてきたもので、それは私の家庭環境が影響して形成された性格に起因してる、と思われているようだった。私も以前精神科にお世話になったことがあるので、この手の判断は非常に難しいことはわかってる。だから、先生の仰ることを鵜呑みにはしてはいない。
先生の話を聞いていて、なんとなく感じたのは、私が“きょうだい児”であるということを知って、私に対する見方に何らかのバイアスがかかったのでは?ということである。私が“きょうだい”という言葉を知ったのは、5ヶ月程前のこと。つまり、私が私自身のことを“きょうだい児”であると認識したのはつい最近のことだった(私の20年の人生のうちの5ヶ月と考えれば)。“きょうだい”に関するHPやブログをみていると、どうやら“きょうだい”たちに共通する性格的な傾向があるということがわかったが、勉強不足なので具体的にどういう傾向があるのかは把握していないのだけども、少なくとも、自分が親の負担にならないように「良い子」になろうと意識していたということは全くなかった。もちろんだからと言って不良だったわけではないが、まあ勉強は高校に入ってからしなくなった。浪人しても予備校をサボり、今結果的に自分の大学に非常に満足してはいるけれども、学業の面では、親からみたら本当に張り倒したくなるような不真面目な子だったと思う。性格だって、お世辞にも「良い子」なんて言えるようなものじゃなかった。それは今もそう。
では、私が本当の意味でぱっぱらぱーだったかというと、そんなこともないと思う。特に弟のことに関しては、自分はまるで第三(第二?)の保護者のような気持ちで、弟のことを考えてきた。「本当にうちの親はダメだ」と思って「自分がしっかりしなきゃ」と思っていた時期もあった。今では両親も弟のことで大分成長したけれども。
私は“きょうだい”たちが抱える問題を全然知らない。それはきっと、弟の障害が軽いということも関係していると思う。母が弟につきっきりで私は放置されていた、ということはないから。いや、母はそういう思いを持っているらしいのだが、少なくとも私自身がそう感じたことは一度も無い。
でも、確かに思い起こせば、母はよく「あの子(私)は一人でもちゃんと考えてやっていけるからいいの、でもBOOは傍にいてあげなきゃいけないし、何かあれば守ってあげなきゃいけない」ということを言っていた(BOOがいじめをうけていた頃の話)。これを聞いて私は何も思わなかった。それが当然だと思った。つい先日も母と話していたら、こんなことを言っていた。BOOのことを夫婦で話していたら、財産相続の話になったらしい。そこで父は「この家も土地もBOOに残して・・」私のことには全く言及されなかったらしい。これは祖父母たちも一緒で、「ここの土地はBOOに」と口を揃えて言っている。で、財産管理が私の役目だと。正直今の気持ちとしては、私は何にもいらないから、BOOにちゃんと財産残してやってくれ、それが私の精神安定につながる、という感じなので、僻みとかは全く無い。まあ、実際いざ相続するとなったら、どういう気持ちになるのかはわからないけど・・苦笑。
まだ調子が悪いのか、単に頭が悪いだけなのか、何を書きたいのかわからなくなったのでここらへんでひとまず終了・・。
なんとなく思うのだけれども、私は“きょうだい”として他の人々に何かを訴えるとか啓蒙するということには今のところ興味が無い。「『きょうだい』としての想いを綴っています」なんて書いてるから、矛盾しているようだけど、でもこのブログを書くという行為は、単に、私が生きてきた中で“きょうだい”ゆえに感じたこと・体験したことを抜き出すという作業に過ぎないのだ。同じ“きょうだい”とは言っても、五万といるきょうだいを一般化するなんて不可能だ。というかそんなのは無意味だ。“きょうだい児度”があるとしたら10段階中私はいくつなんだろう。1か2ぐらいかな。だから私はこれからも淡々とvosineとしての体験を綴っていくことにする。(本当に脈絡無いな・・ぼそ)
そうそう、このvoisineというHNはフラ語で“隣人”を意味します。このブログを見た方に、私はあなたの隣人です、という意味を込めてこのHNにしました。この隣人というのは「仲間です」という意味ではなくて、そのまんまの隣人という意味で。