比べるということ

うちの親は自助団体には参加していない。情報を得るためにも入ったらどうかと提案してみたら、親もそれについて考えたことはあるけど、そのような場でカミングアウトすることが後々不利にならないか、ということを心配して今まで参加はしなかったと言われた。また、自助団体に入っても、障害の程度によって内部が分かれていたり、揉め事があったりする、ということを実際に関係者から聞いたことがある、とも言っていて、うちのBOOのように軽度だとやっていきづらいのではないかと言っていた。ここで、これが全ての自助団体にあてはまることではないということ、あくまで、たまたま母の友人が知っていた団体がそうであったにすぎないということを強調しておきたいと思います。
私はこれを聞いて首をかしげた。他者と比べるということがいかに無意味なことか、それは障害者をもつ親・きょうだいが一番よくわかっていることなんじゃないのか?少なくとも私は、BOOからそれを教わった気がする。よく、人は比較せずには生きていけないと言われる。言われてみれば確かにと思う。成績だって、受験だって、競争といわれるものは全て比較だし、容姿・出自など例を挙げたらキリがない。私たちは比較をして、そして他者と差異化をはかる。健常者と障害者というカテゴライズもその一つだ。けれど、これらが便宜上都合のいいやり方であるというのは認めることができても、比較のネガティブな面である他者の軽視は決して認めるわけにはいかない。発達障害児をもつ親御さんのブログにいくと、よく「うちの子はうちの子。よその子はよその子」といった感じの文に出会う。障害児をもつ親御さんなら、そうじゃない方たちよりも一層強くこの言葉の意味を噛み締めてみえると思う。皆それぞれ持って生まれたものやとりまく環境は違うし、また成長の仕方も違う。それを比べていったい何になるんだろう。差別をされる側の人間が、さらに他者を軽んじるなんて、悲しいことだ。
でも、こんなこと書いている私だけど、もし誰かが「あの程度の障害ならまだいいわよね。うちなんか・・・」と言ったら、その気持ちはわからなくもない、と思うと思う。精神的にも肉体的にも疲れて余裕がなくなれば、そう思ってしまうのが人間だと思う。でも、それでも、きちんと個々を尊重する気持ちをもっていたと思う。持たなければいけないと思う。もし他者を軽んじるようなことを言ってしまったら、その気持ちが横からすっと出てくるようにしていなければいけないと思う。これは私自身によく言い聞かせていることです。
私も最近自分を周りの友人と無意識のうちに比べてしまう。「皆いいよなー。自分のことだけ考えてればいいんだもんなー。」そしてすぐ、今自分は余裕ないんだな、と冷静に思う。周りと比較してしまう時を、気持ちに余裕がない時なんだ、と一種のバロメーターのように思っている。本当に皆が自分のことだけ考えて生きてるか。そんなわけない。
比べることは無意味だと強く感じる。けど、たまに比べることによって自己陶酔している自分もいる。でも、皆それぞれ頑張っていて、誰の人生も軽んじてはいけないんだということは、これからもしっかり自分に言い聞かせていきたい。(なんか書いてて訳わかんなくなちゃった・・・)