先が見えない苦しみ、見えた苦しみ

よく「先が見えなくて辛い」という言葉を聞く。以前の私は、先が見えてしまったら面白くないじゃない、とよく言っていた。先が見えない、わからないからこそ、幾通りもの先を想像することができる。
帰省中、私は初めて「先が見えた」気がした。それはほんの一瞬のことで、一気に将来のビジョンが頭の中に流れ込んできて、文字通り「お先真っ暗」な感じがしてものすごい絶望感におそわれた。BOOが働けず、一家三人が暗い毎日を送っている様子だ。この時私は泣き崩れた。見えた先が恐れていたものだと、こんなにも恐怖を感じるものなのかと、本当に愕然とした。
しかし、あれから日にちも経つと、今度は先が見えない不安を感じ始めた。自分でも矛盾してると思う。でも、今は考えては無駄とわかっているけど、先のことをあれこれ思案してしまう。見えない先は、“私の”将来。
先のことだけでなく、過去のことも思わずにはいられない。どうして、ちゃんと勉強しなかったのか。こういう時がくることはわかっていたはずなのに、どうしてあの頃の自分は何も考えなかったのか。過去の自分に嫌気がさす。母が言ってた言葉が思い出される。「あんたが弁護士にでもなって、自分の事務所持ってくれたら、あの子をそこに置いてもらえるのに」親不孝で本当に申し訳なく思う。いったいどうやったら、皆が幸せになれるんだろうか。