先が見えない苦しみ、見えた苦しみ

よく「先が見えなくて辛い」という言葉を聞く。以前の私は、先が見えてしまったら面白くないじゃない、とよく言っていた。先が見えない、わからないからこそ、幾通りもの先を想像することができる。
帰省中、私は初めて「先が見えた」気がした。それはほんの一瞬のことで、一気に将来のビジョンが頭の中に流れ込んできて、文字通り「お先真っ暗」な感じがしてものすごい絶望感におそわれた。BOOが働けず、一家三人が暗い毎日を送っている様子だ。この時私は泣き崩れた。見えた先が恐れていたものだと、こんなにも恐怖を感じるものなのかと、本当に愕然とした。
しかし、あれから日にちも経つと、今度は先が見えない不安を感じ始めた。自分でも矛盾してると思う。でも、今は考えては無駄とわかっているけど、先のことをあれこれ思案してしまう。見えない先は、“私の”将来。
先のことだけでなく、過去のことも思わずにはいられない。どうして、ちゃんと勉強しなかったのか。こういう時がくることはわかっていたはずなのに、どうしてあの頃の自分は何も考えなかったのか。過去の自分に嫌気がさす。母が言ってた言葉が思い出される。「あんたが弁護士にでもなって、自分の事務所持ってくれたら、あの子をそこに置いてもらえるのに」親不孝で本当に申し訳なく思う。いったいどうやったら、皆が幸せになれるんだろうか。

“きょうだい”

最近発達障害関連のサイトを徘徊しまくっている。そうすると、いかに多くの人たちが発達障害で悩んでいるかがわかる。そして、多くの人たちが何らかの自助団体に属している。検索にも自助団体が多くひっかかる。
その中で「え?!」と目を見張ったものがあった。きょうだいの会というものである。「きょうだい」・・・障害者の兄姉弟妹をもつ人のこと、とある。私は驚いた。障害者の親の自助団体があるのは知っていたし、理解できた。でも、まさか障害者のきょうだいの自助団体があるとは全く想像していなかった。きょうだいが集まる必要性を、自分自身も“きょうだい”でありながら感じていなかった。驚くのと同時に、自分も世間からみたら「障害者のきょうだい」という風に見られカテゴライズされるの?とびくっとした。あくまで私は彼ら障害者とは違うんだ、と強調したいわけじゃない。ただ世間の目を普通の人以上に気にしなければならないのが障害者とその家族なので、この気持ちはわかる人にはわかって頂けると思う。しかし、HPの中を覗いてみるとそういうことではなかった。障害者のきょうだいが、きょうだい故にかかえる悩みを分かち合う為に集まっていたのだ。
そんなきょうだいとしての悩み・経験を、とても丁寧に語っている男性のHPを見つけた。その中のコラム「きょうだいどうしのために」を読んだ時、私がこれまできょうだいとして感じてきたことのほとんどを、この方がうまく代弁してくださっているように思えて、思わずぐっときてしまった。混沌とした気持ちも、活字を読むことによって、少し整理された気がした。
その方は、自分のHPの場をきょうだいたちの悩みや愚痴を打ち明ける場として解放されている。私は今まで自分の悩みを友人にきちんと話したことはない。会話の中でお互いの兄弟の話になる時、私はいつも困った。そのまま正直に言えばいいじゃないか、隠すなんてそれこそ差別だ。そう思うわれる方もいるかもしれない。私もそう思ってそれとなく話したこともある。しかし、こういう話は例え親しい友人であっても言わないほうがいいと、私の場合は最終的に判断した。親しい友人にはどうしても「理解してほしい」「この子ならわかってくれるだろう」と期待してしまう。そして決まって「言わなきゃ良かった」と後悔する。こういうことはやはり当事者でないとわからない。それはもう、人格の問題とは関係無しに、ただ経験の問題だ。そんなこんなで、自分の中にはぐっと飲みこんだ言葉が積もり積もっていく。それを吐き出す場所はないし、そういうものかとも思っていた。
この気持ちを吐き出せる場所があることはわかったけれど、実際そうするかどうかはわからない。私のプライドが邪魔しているのかもしれないが・・・それもよくわからない。昨日ある掲示板をみていたら、ある障害者の方がこんなことを書き込んでいた。

もし目の前に、自分のこれまでの状況全てを知る人が現れて、その人に優しい言葉をかけられたら、自分は大泣きしてしまうだろう。

皆一緒なんだ。これ、私がよく想像する光景だ。全てを理解して守ってくれる人に、今までの悩みや苦労を全て吐き出して、大泣きしたい。いつもそう思っています。
一番辛いのはBOOだね。でも、ここでだけ弱音を吐くの許してね。

きょうだいは親にはなれない…けれど―ともに生きる Part 2

きょうだいは親にはなれない…けれど―ともに生きる Part 2

この本近々読みたいと思っています。

最大の関門−就職

今わが家は、本人BOOは、最大の山場を迎えている。就職の問題だ。正直、自分でも就活のことなんて考えたくないという感じなのに、彼に就活なんてまだ早い、と家族誰もが感じている。大学や専門学校に行くという選択肢もある。けれど、それらは彼には無理なことだし、また必要のないことなのだ。というのは、彼はある資格を高校でとって、それを生かして生きていくと決めたから。確かに、社会に出るまでの猶予期間として、また数年学校に行くという選択肢もなくはない。しかし、傍から観ていても、もう彼は次の段階に来ていると思う。つまり、少しずつ社会と接触を持っていくということである。
その為の準備として、アルバイトを必死で説得してさせようとし、本人もその必要性を自覚し、この春いくつか当たってみた。一番狙っていたところから月曜には連絡がくるはずだったが、今日まで連絡がないまま・・。「根気、根気」と自分に家族に言い聞かせていた自分も、それを聞いてまた気分が沈んでしまった。自分の就活の時の連絡待ちよりも、今の方が辛いんじゃないかと思う。自分のことじゃないだけに。
彼の病名は掛かった先生によって異なる。私も詳しくは知らないが、知的障害、広汎性発達障害と言われたらしい。はっきり言ってこんな病名なんかどうでもいい。一人一人症状は千差万別で、とても一つの症名では表せるものじゃない。そしてまた、症状は本人の成長と共に変化していく。うちのBOOに関して言えば、よくここまで成長したなと思う。幼少時代言葉の遅れが激しく、そのため計算などは出来るが、本を読んだり文章を考えたりすることは出来なかった。当然、コミュニケーションもうまくいかず、いじめられ続けた義務教育時代。今でも、会話や文章理解は苦手だが、それでもたまに相手の間違いを鋭く指摘したり、つたない文だが「流れ」のある文章を書けるようになった。私は家を出ている分、帰省する度に彼の成長をはっきり感じることができ、それが喜びでもある。彼の成長スピードは遅い。彼と付き合っていくのには、相当の忍耐を要する。焦る気持ちを抑えながら、我慢強く彼と接していかなければならない。
けれど、先に述べたように、落胆することがしょっちゅうである。彼を励まして導かなければならないのはわかってはいるけど、やはりこの時期になると焦りが出てくる。私も彼と共に、成長しなければならないんだ。

ことはじめ

最近でこそ自閉症発達障害が頻繁にメディア等で取り上げられるようになりましたが、少し前までは一般的認知度はとても低いものでした。
自分の子供あるいは兄弟に、なにか普通とは違うものを感じていながら(「普通」の定義も難しいものですが)、でもそれが何かははっきりとわからず、なんとなくここまできてしまったという人がかなりいるのではないでしょうか。
かくいう私もそんな中の一人。私の弟は発達障害者です。発達障害自閉症・知的障害児関係のサイトを徘徊していて思うことは、当のお子さんたちが10歳以下であることが多いということ。それは至極当然のことで、ちょっと前まで発達障害は一般的に知られていなかったから、3歳児検診等でも見落とされていた人も多いはずだし(実際私の弟もそうだった)、当時ネットは普及していなかったから、例え身内に発達障害者がいても、個人で啓蒙活動をしたりコミュニティーを作ったりすることは難しかったし、また情報を得るのも難しかった。
もし、10年前に今と同じくらいこれらの障害に対し理解が深まっていれば。そうしたら、もっと早くいろんなことをしてあげられたのに。早期発見という言葉を聞くと、なんとも言えない気持ちになります。
このブログは、これまでの私の経験・体験や雑感等を述べていくものです。極力個人を特定できるような情報は書きたくありませんが、書こうとしているのは個人的体験。ここのとこをうまく処理できるかわかりませんが、ぼちぼちやっていこうと思います。「思いを吐き出す場所」としての意味合いが強いのですが、もしこのブログの中に、少しでも通りすがりの方にとって参考になることがあればそれはこの上ない喜びです。